21位:帝銀事件 – 1948年
帝銀事件は、1948年1月26日に東京都豊島区の帝銀事件で起きた銀行強盗殺人事件です。東京都防疫班の服を着た男は「近くの家で集団赤痢が発生した。予防薬を飲んでもらいたい」と青酸化合物を飲ませ、それを飲んだ行員や客ら12人が死亡しました。
結果的に8月21日平沢貞通という画家が逮捕されます。平沢は事件前後に詐欺事件を起こしていた他、出所不明の被害総額と同等のお金を預金していた等、不審な点はあったものの、確実な証拠と呼べるものはありませんでした。
平沢は拷問のような取り調べを受けた後に犯行を自白しますが、これが警察の圧力である事は明白でした。1955年に死刑判決がくだるものの、彼が無実であるという意見は根強く、刑が執行される事のないまま1987年に95歳で死去しています。
事件当時の日本はGHQの占領下にあり、事件の影には旧軍関係者やGHQの声も疑われています。帝銀事件は戦後有数の凶悪事件であると共に闇の深い事件でもあるのです。
20位:栃木リンチ殺人事件-1999年
栃木リンチ殺人事件は、1999年12月4日に拉致監禁殺人事件です。犯人は19歳から16歳の少年4人(1人は後から加わった)で、主犯の萩原克彦は過去に傷害と窃盗により検挙された経歴がありました。
3人は被害者から金を巻き上げ、被害者がサラ金から拒絶されると2ヶ月にわたり拉致。「熱湯コマーシャル」と名づけた最高温度のシャワーを浴びせたり、殺虫スプレーのガスに火をつけて浴びせかけたりする苛烈なリンチをしています。
被害者は絞殺され、遺体はコンクリートに流し込んで山中に遺棄されます。遺体は表皮の80%が火傷しているというひどい状況でした。犯人たちは遺棄後、「追悼花火大会」といって花火をし、「15年間逃げ切ろう」とビールで乾杯したそうです。
その後、犯人の一人が良心に耐えきれず自首し、残り3名も逮捕されました。この事件は被害者家族が9回にわたり捜査依頼するも、拒絶し続けた栃木県警の不手際が社会問題にもなりました。主犯の萩原と共犯者の梅澤昭博は無期懲役判決をうけ、現在も服役中です。
19位:大牟田4人殺害事件-2004年
大牟田4人殺害事件は、2004年9月16日と18日に福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件です。この事件は一家4人全員が死刑判決を受けた特異な事件。父親の北村実雄は道仁会系暴力団「北村組」の組長で、妻・真美が組を仕切り、息子2人もヤクザでした。
北村一家は金に困っており、金を借りていた知人の闇金融業者一家の3人を殺害。3人中2人は17歳と15歳と未成年でした。更に北村一家は15歳の被害者の友人も殺害し、遺体を諏訪川へ遺棄しています。
9月22日には真美が逮捕されると、警察を訪れた実雄が拳銃で自殺未遂を図り、息子達に捜査の手が及ばないように行動もしています。結果的に10月には全員が逮捕。2011年には4人全員に死刑判決が下っています。
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