この記事を書いた人
フリーライター
新卒で出版社の編集部に配属され、カルチャー雑誌の編集を担当。10年間の勤務の後、子育てを機に退社し、フリーランスのライターとして独立。映画や音楽、サブカルチャーの知識を活かし、レビュー記事やコラムの執筆を行う。現在は複数のオンラインメディアで編集業務にも携わり、トレンドを追いかけることと新しいクリエイティブを発見することをライフワークとしている。
30位:奈良小1女児殺人事件 – 2004年
奈良小一女児殺人事件は、2004年11月17日に奈良県奈良市で当時小学1年生だった女児が誘拐の末に殺害された事件です。犯人は新聞販売店の従業員・小林薫であり、女児に対する強制わいせつ行為で懲役刑に処された過去がありました。
小林は「女の子に悪戯をしたい」という欲求に駆られ、7歳の女子児童を誘拐。自宅に連れ込んで湯船に沈めて殺害し、わいせつな行為や歯を折る等の死体損壊行為を繰り返しました。
小林は女児の携帯電話で「娘はもらった」などの趣旨のメールと少女の写真を母親に送り付けた他、女児の遺体を自宅から離れた場所に遺棄。その後母親の携帯に再度「次は妹を狙う」とメールを送っています。
しかしメールの送信履歴から小林容疑者が浮上し、逮捕にいたっています。逮捕された小林容疑者の自宅からは幼児ポルノのビデオが大量と盗まれたものとみられる女子の下着が沢山あったそうです。小林薫は死刑判決が下り、2013年に死刑が執行されました。
29位:名張毒ぶどう酒事件 – 1961年
名張毒ぶどう酒事件は、1961年3月28日に三重県名張市葛尾の公民館で集落の懇親会で出されたワインを飲んで5人が死亡し、17人が中毒症状を起こした事件です。混入された毒物はニッカリンTという毒物でした。
結果的に逮捕されたのは奥西勝という鉄道会社の職員でした。決め手は被害者の中に奥西さんの妻と愛人がいた為であり、警察は「三角関係を解消する為の犯行」と判断。奥西さんは1972年の最高裁判所で死刑判決が下ったのです。
警察は執拗な自白を強要したとされ、奥西さんと支援団体は生前9度にわたる再審請求を要求。彼は無実を訴え続けたものの、死刑判決から43年後に89歳で死亡しています。
当事件を題材とした出版物も数多く出ていますが、その殆どが「奥村さんは冤罪」という主張に則ったものです。奥村さんが犯人ではない場合、誰がこのような凄惨は事件を起こしたのでしょうか。凶悪事件ではあるものの、事件の全貌は未だ不明です。
28位:横浜港バラバラ殺人事件 – 2009年
横浜港バラバラ殺人事件は、2009年6月18日に横浜市で発生したバラバラ殺人事件です。犯人グループはベトナムから麻薬の密輸を行なっており、トラブル関係にあった麻雀店の経営者と従業員をホテルに呼び出し、生きたままチェーンソーで首を切断しました。
犯人グループは8人いて、計画を構想したのはグループの主犯である近藤剛郎、実行犯は池田容之という人物です。被害者が「家族に電話させてください」と懇願する中、池田は「動くと切れないじゃないか」と冷徹な言葉を発しています。
その後犯人たちは遺体を解体し、横浜港や山梨県の山に遺棄。そして池田容之は当初2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後強盗殺人容疑で再逮捕されました。
犯行の動機は、近藤剛郎という男が池田に殺害を依頼、理由は麻雀店の経営を被害者に取られ邪魔な存在だったからだといいます。そのため近藤は池田に殺害を依頼。池田は組織での地位を高めるために犯罪を決行したというのです。
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